大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和61年(ワ)4764号 判決

原告(反訴被告)

中村利正

被告

増田正治

被告(反訴原告)

ジヤパンナチユラルフート株式会社

主文

一  被告増田正治及び被告(反訴原告)ジヤパンナチユラルフード株式会社は、原告(反訴被告)に対し、各自、金二〇万〇二〇〇円及びこれに対する昭和六一年六月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)ジヤパンナチユラルフード株式会社に対し、金八万七〇〇〇円及びこれに対する昭和六一年六月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告(反訴被告)のその余の請求及び被告(反訴原告)ジヤパンナチユラルフード株式会社のその余の反訴請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、本訴、反訴を通じてこれを三〇分し、その二を被告(反訴原告)ジヤパンナチユラルフード株式会社の、その一を被告増田正治の各負担とし、その余を原告(反訴被告)の負担とする。

五  この判決は、第一項及び第二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  本訴請求

被告増田正治(以下「被告増田」という。)及び被告(反訴原告)ジヤパンナチユラルフード株式会社(以下「被告会社」という。)は、各自、原告(反訴被告)(以下「原告」という。)に対し、金二六一九万七四九六円及びうち金一六六七万八八七〇円に対する昭和六一年六月一一日から、うち金九五一万八六二六円に対する昭和六三年四月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  反訴請求

原告は、被告会社に対し、金一四万五〇〇〇円及びこれに対する昭和六一年六月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二争点

一  争いのない事実

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和六〇年四月一九日午後五時四五分頃

(二) 場所 大阪市東区内本町橋詰町大阪府道高速大阪池田線(以下「本件道路」という。)環五・一キロポスト先路上(環・東分岐点)

(三) 事故車 普通乗用自動車(大阪四五る五〇八九号)

右運転者 被告増田

(以下「被告車」という。)

なお、被告増田は、被告会社の従業員で、本件事故当時、その業務の執行中であつた。

(四) 事故車 普通乗用自動車(大阪三三ろ五九四六号)

右運転者 原告

(以下「原告車」という。)

(五) 態様 被告車が、制限速度を二〇キロメートル上回る時速約七〇キロメートルの速度で本件道路を中之島方面から道頓堀方面に向けて進行中、前記分岐点付近において、同車の左前部が同一方向に進行していた原告車の右前部と衝突した。

2  損害の填補

原告は、損害の填補として、以下のとおり支払いを受けた。

(一) 労災保険から療養補償給付金 一八四万二七二八円

(二) 自賠責保険から後遺障害補償金 二五二万八〇〇〇円

二  双方の請求内容及び争点

1  双方の請求内容

(一) 本訴

原告は、本件事故により、第二腰椎圧迫骨折、頭部外傷Ⅰ型、外傷性頸部頭部症候群の傷害を負い、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一一級七号に該当する後遺障害が残され、また、原告車が大破されたとして、被告増田に対し民法七〇九条、被告会社に対し民法七一五条に基づき、二六一九万七四九六円(人的損害分二一七九万四一七六円、物的損害分二九〇万三三二〇円、弁護士費用一五〇万円)の損害賠償の請求をする。

(二) 反訴

被告会社は、本件事故により、被告車が全損したとして、原告に対し、民法七〇九条に基づき、一四万五〇〇〇円の損害賠償の請求をする。

2  争点

双方とも損害額を争うが、その中心的な争点は、本件事故の具体的態様(発生原因)及び責任の有無、程度である。

(一) 原告の主張

被告増田は、制限速度を二〇キロメートル上回る速度で原告車を追い越そうとして自車左前部を原告車の右前部に追突させたものであり、被告増田には、前方注視、制限速度遵守、車間距離保持の各義務に違反した過失がある。

このように、本件事故発生については原告に過失はなく、被告増田の一方的な過失によるものであるが、仮に原告に過失があつたとしても、被告増田の過失が圧倒的に大きいので、被告会社の反訴請求については大幅な過失相殺をすべきである。

(二) 被告らの主張

本件事故は、原告車が本件道路を道頓堀方面に向けて進行中、前記分岐点の手前で本線から法円坂・東大阪方面車線(以下「東大阪線」という。)に進入し、前記分岐点に接近した地点において、これに気がついた原告が本線に戻ろうとして、本線を走行する車両の有無等を確認することなくハンドルを右に切つたため、本線の左側車線を直進中の被告車の左前部に原告車の右前部を衝突させたものである。

このように、本件事故はもつぱら原告の前側方不注視及び安全運転義務違反によるものであり、仮に、被告増田に過失があつたとしても、その程度は軽微であり、原告の本訴請求については八割以上の過失相殺をすべきである。

第三争点に対する判断

一  本件事故の態様及び双方の責任の有無、程度について

1  本件事故の態様について

(一) 前記第二の1の争いのない事実に、甲一、七号証、九ないし一一号証、二四ないし三〇号証、三三号証(後記信用しない部分を除く。)、三四号証、検甲一ないし一九号証、乙一号証(後記信用しない部分を除く。)、四号証、五号証の1~3、検乙一ないし一七号証、証人山内哲治及び同中原輝史の各証言、原告本人(第一回)尋問の結果(後記信用しない部分を除く。)、被告増田本人尋問の結果(後記信用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる(なお、各項末尾の括弧内に掲記した証拠は、当該事実の認定に当たり特に用いた証拠である。)。

(1) 本件事故現場付近の状況は別紙図面(一)記載のとおりである。

同図面記載のとおり、本件道路は、本件事故現場付近において、中之島方面から道頓堀方面に向かう四車線の本線と、法円坂・東大阪方面に向かう二車線の東大阪線とに分岐し、本件分岐点先端にはクツシヨンドラム二個が設置されていた。本件道路本線は、本件事故現場付近において、南(道頓堀方面)に向かつて左に緩やかにカーブし(曲線半径二六八メートル)、東大阪線はそれよりも急なカーブで本件分岐点から東に向かつている。

本件道路の最高速度は時速五〇キロメートルに規制されていたが、前記の道路状況に加え、本件事故当時の交通量はまばらで、前方の見通しを妨げるようなものは特になかつた。なお、本件事故当時の天候は晴れで、路面(平坦なアスフアルト舗装)は乾燥していた。(甲一、九、一一、検甲八、一一~一四、一七、一九、原告本人第一回1項)

(2) 原告(昭和一七年三月二八日生、本件事故当時満四三歳)は、大阪市天王寺区内にある仕事先に行くため、左ハンドルの原告車(フオード・マスタング、長さ四・四四メートル、幅一・七八メートル、高さ一・二七メートル、車両重量一四七〇キログラム)に一人で乗車して、南森町入口から本件道路に入り、道頓堀方面に向かつて詩吟のテープを聞きながら時速約五〇キロメートルの速度で進行していたところ、本件分岐点の手前において、道路標識を見ながら進行したため、本線からやや外れて本線の一番左側の車線(以下「第一車線」という。)と東大阪線との間の区分線を跨ぎ、同区分線にほぼ平行に進行してしまつた。そして、原告は、このまま進行すれば、分岐点先端に置かれたクツシヨンドラムに衝突する危険を感じ、進路を本線に修正するため、後方及び右側方を通行する車両の有無等を確認しないまま、原告車のハンドルをやや右に切つたところ、前記クツシヨンドラムから約一七ないし一八メートル手前付近の別紙図面(一)〈甲〉付近において、右前部側面を被告車(同図面〈乙〉)の左前角部に衝突させ(その角度は一〇度以下)、ハンドルをさらに右にきつたが(ブレーキを踏む余裕はなかつた。)、被告車によつて頭を押さえられた形で原告車右前部側面を被告車左側面に衝突させながら進行したのち、左前部を右側(西側)のクツシヨンドラムに衝突させ、さらに後部を右に旋回させながら約四一・四メートル進行して、同図面〈4〉付近に停止した。

原告は、被告車と衝突するまで被告車が右後方から接近していることに気づいておらず、右折の合図もしなかつた。

なお、原告は、それまで本件事故現場付近をを度々通つており、付近の状況をよく知つていた。(甲九、一〇、三四、検甲一~七、九、一〇、検乙一~七、一一~一四、一七、中原証言4~17丁、原告本人第一回1、3、5、18、22~49、55項)

(3) 被告は、被告車(ダツトサン・サニー、長さ三・九メートル、幅一・五八メートル、高さ一・四〇メートル、車両重量八一五キログラム)に一人で乗車して、道頓堀方面に向かつて第一車線を時速約七〇キロメートルの速度で進行中、前方に原告車を認めたが、同車が東大阪線に進行するものと考え、その動静に注意することなく、時速約七〇キロの速度でその右横を追い抜いていこうとしたところ、別紙図面(一)〈乙〉付近において、被告車左前角部と原告車(〈甲〉)の右前部側面とが衝突し、原告車の右前輪等と被告車の左側面部を衝突させながら進行した。そして、原告車がクツシヨンドラムと衝突した後、被告車は原告車と離れ、後部を側壁に衝突させるなどしながら、同図面〈イ〉付近(衝突地点から約九九メートル先の地点)において停止した。

(甲九~一一、三四、乙一、四、山内証言6、36、37項、中原証言4~17丁、被告増田本人2、11~17、19、24、79項)

(二) 以上の事実が認められるところ、原告、被告増田各本人尋問の結果中並びに甲九ないし一一号証(実況見分調書)、甲三三号証(原告作成の反論書)、乙一号証(被告増田作成の報告書)、三号証(同被告作成の反論書)中には、次のとおり、右認定と異なる供述(記載)部分ないしは指示説明部分が存する。

(1) 衝突地点について

ア 原告は、東大阪線に進入していないと供述し(第一回19項)、昭和六〇年一二月一日に行われた実況見分の際にも同様の指示説明をしている(甲一〇)。

しかしながら、甲一一号証、山内証言(14~17項)によれば、本件事故直後行われた実況見分の際、ゼブラゾーンの中央から約六〇センチメートル東大阪線寄りの路面に、分岐点の手前からクツシヨンドラムのところまで約一七メートルにわたつてほぼ直線状のタイヤ痕が印象されていたことが認められるところ、甲三四号証(中原輝史作成の鑑定書)、中原証言(6丁以下)によれば、これは原告車の左前輪のコーナーリング痕と考えるのが相当である(この点に関し、甲三三号証中には、原告が本件衝突後力一杯急ブレーキを踏んだため、路面にそのブレーキ痕が残された旨の供述記載部分(1~2頁)が存するが、原告は本人尋問においてブレーキを踏む余裕はなかつたと供述している(第一回5項)うえ、前記タイヤ痕の形状、長さ等からすれば、ブレーキ痕と認めることはできない。)。

右コーナーリング痕の印象された場所等からすれば、原告車が本件分岐点のどのくらい手前から進入したかを明らかにする的確な資料はないが、少なくとも本件事故の直前においては、第一車線と東大阪線の区分線を跨ぐ形で進行していたものと認めることができ、これに反する原告の前記供述部分及び指示説明部分は信用することはできないというべきである。

イ 次に、甲九号証中には、原告は別紙図面(一)の原告車〈2〉、被告車〈ア〉の地点で衝突した旨の、被告増田は原告車〈1〉’、被告車〈イ〉’の地点で衝突した旨の指示説明部分が存し、甲一〇、一一号証中にも右と同旨の被告増田の指示説明部分が存する。

しかしながら、甲三四号証、中原証言(6、7、16、17、29丁以下)によれば、前記コーナーリング痕の始点等に照らすと、原告車と被告車は別紙図面(一)の〈甲〉及び〈乙〉の地点付近で衝突したものと認めるのが相当であり、これに反する双方の指示説明部分は信用することができないというべきである。

(2) 被告車の最初の衝突部位について

被告増田は、原告車の右前部が被告車の左前部ドア付近に衝突した旨供述し(22、62項)、乙一号証(2頁)及び三号証(4頁)中にも同旨の記載部分が存する。

しかしながら、山内証言によれば、被告増田は、実況見分の際には原告車の右前フエンダー部と被告車の左前角が衝突したと説明していたのみならず、〈1〉甲三四号証(11頁)、検甲ないし七、九、一〇号証、山内証言(40、41項)、中原証言によれば、原告車の右前部については、フロントフエンダーの上部に凹損が生じ、また、同部の方向指示器カバーが破損し、同カバーの取付けビスが前方に歪曲していること、〈2〉甲三四号証(12頁)、検乙一ないし四号証、被告増田本人尋問の結果(66項)によれば、被告車の左前部ドアには、タイヤ痕が印象されているのが、認められるが、凹みは認められず、反面、左前角は後方に歪曲していること、〈3〉甲三四号証(13、14頁)によれば、〈2〉のタイヤ痕は、左側を並進していた原告車の右前輪タイヤの回転によつて印象されたサイクロイド曲線であり、その形状等からしても、被告車の速度は原告車よりも大きかつたと認められることなどからすれば、本件においては、まず、原告車の右前側面部に被告車の左角部が衝突し、その後、原告車の右前輪タイヤが被告車の左前部ドアに接触したものと認めるのが相当であり、これに反する被告の前記供述部分は信用することができない。

(3) 原告車の速度について

原告は、本件事故当時の原告車の速度は時速約四〇キロメートルであつた旨供述し(第一回3、5項)、甲三三号証中にも同旨の記載部分(2、4頁)が存する。

しかしながら、甲三四号証(23、24頁)によれば、両車の重量、有効衝突速度、衝突後停止するまでの距離等に両車の損傷状況を勘案すると、両車の衝突前の速度は、原告車時速約五〇キロメートル、被告車時速約七〇キロメートルとすることが相当であり、これに反する原告の供述部分ないしは記載部分は信用することができない。

(4) 被告増田の原告車に対する認識について

被告増田の本人尋問の結果中には、本件事故直前、前方を注視していたところ、東大阪線に進む車両を見たが、それが原告車かどうかわからない、この後、突然左横から当てられた旨の供述部分(2~4、50~56、60項)が存し、乙一号証中にも同旨の記載部分(2~4頁)が存する。

しかしながら、甲一一号証、山内証言(7~11項)によれば、被告増田は、本件事故直後に行われた実況見分の際には、原告車が東大阪斜線に入つていつたので、そのまま進行すると思つて追い抜いていこうとしたところ、原告車が分岐点手前で右に向いてきて衝突した旨指示説明していたうえ、前記原告車の走行状況、衝突角度等の衝突状況等に照らすと、この指示説明の方が現場の状況に符号しているものと考えられる。したがつて、前記供述部分及び記載部分は信用しない。

(三) ところで、鑑定人江守一郎による鑑定の結果(以下「江守鑑定」という。)によれば、原告車と被告車は、別紙図面(二)記載の場所において、まず、原告車の右前輪と被告車の左前部ドアが接触し、その後、原告車の右側面前部と被告車の左側面後部が接触し、右接触はほぼ平行であつたとされている。

しかしながら、

(1) 前記認定の双方車両の損傷状況、特に、原告車の右フエンダー部の凹みの状況からして、同部の損傷は、被告車の左前角によつて衝突され、押し込まれたものと認めるのが相当であるのに対し、検乙六号証によれば、原告車の右前フエンダー部と被告車の左後部が衝突したとすると、左後部コンビネーシヨンランプが破損すると考えられるところ、同ランプの損傷脱落は見られないこと、

(2) 江守鑑定では、原告車の右前バンパー部の破損は、被告車の左後部バンパーとの噛み合いによるとされるが、検甲二、三号証、検乙一ないし四号証によつて認められる両部位の損傷の程度等によれば、原車の右前バンパー部の破損は被告車の左前輪後部の車体(タイヤハウス)が引つかけたことによると認めるのが相当であること(中原証言13丁)、

(3) 中原証言(6、7丁)によれば、原告車が右に転把しようとしたが、被告車に妨げられたため、前記認定のとおり、ほぼ直線状のコーナーリング痕が印象されたと考えるのが相当であること、

(4) 甲三四号証(13、14~17頁)、中原証言(7、12、19丁)によれば、被告車の左前部ドアには原告車右前輪による二種類のサイクロイド曲線が印象されたところ、その形状から、原告車がクツシヨンドラムに衝突する直前と直後にそれぞれ印象されたと考えるのが相当であること、

などを併せ考えると、江守鑑定によつては、双方車両の損傷状況、現場や双方車両に残された痕跡等について合理的かつ十分な説明ができないというべきであり、本件衝突地点、衝突の状況等については甲三四号証及び中原証言による説明のほうが合理的であると考えられる。

したがつて、江守鑑定は採用することはできないというべきである。

4  被告ら及び原告の責任の有無について

(一) 被告ら

前記認定の事実によれば、被告増田は、制限速度を遵守し、かつ、進路前方の安全を確認して進行すべき注意義務があり、特に、本件事故当時は原告車が前方を進行していたのであるから、前方を注視し、原告車の動静を十分確認して進行すべきであつたにもかかわらず、原告車は東大阪線に進行したものと軽信し、原告車が第一車線と東大阪線との区分線を跨ぐ形で進行していたのに、前方を注視しなかつたためにそれを看過し、制限速度を約二〇キロメートル上回る速度のまま直進、進行した過失があつたものと認められる。

したがつて、被告増田は、民法七〇九条に基づき、被告会社は、民法七一五条に基づき、本件事故により原告に生じた損害を賠償する責任があるというべきである。

(二) 原告

前記認定の事実によれば、原告は、前方不注視のために本線から外れて東大阪線にややはみ出してしまい、そのまま進行すればクツシヨンドラムと衝突する危険を感ずるや、右方の安全の確認をしないままハンドルを右にやや切つて、自車右前部を被告車の進路直前に進入させた過失があつたものと認められる。

したがつて、原告は、民法七〇九条に基づき、被告会社に生じた損害を賠償する責任がある。

5  原告及び被告増田の過失割合

前記認定の本件事故現場付近の状況、原告車の走行状況(特に、原告は前方不注視の過失により、後続車に誤解を与えるような走行をしたこと、東大阪線にはみ出した程度)、被告車の走行状況及び被告増田の前方不注視の程度、双方の衝突回避の可能性、その他諸般の事情を考慮すると、本件事故の発生についての原告、被告増田の過失割合は、原告六割、被告増田四割とするのが相当である。

二  本訴請求について

1  損害額

(一) 受傷内容、治療経過及び後遺障害等

甲二号証の1~4、三号証の1、一九号証の1、2、二〇号証の2、二一号証、三一ないし三三号証、原告本人尋問の結果(第二回)を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(1) 原告は、本件事故直後、辻外科病院に救急搬送され、外傷性頸部頭部症候群、第二腰椎圧迫骨折、頭部外傷Ⅰ型と診断され、同病院に入院した。(甲二1、三の1)

(2) 原告は、昭和六〇年四月二三日、国立大阪病院で受診し、第二腰椎椎体骨折の診断名で同月二五日から入院し(辻外科病院を同日付けで退院)、同年五月八日、腰椎前方固定術を施行したが、同年六月には運動療法も開始され、同年七月一八日に退院した(入院総日数九一日)。(甲二の2、3)

(3) 原告は、右退院後も腰背部痛が残存するため、同年七月三〇日、同年九月九日、同月一二日に同病院に通院した後、昭和六一年一月一六日、同年三月二七日に通院し、それ以降も月に一、二回の割合で通院して経過観察及び投薬の治療を受けていたが、昭和六二年四月一四日、同病院整形外科の越川医師により、第二腰椎前方固定術後の軽度の脊椎変形を残し、自覚症状として、長時間立位、坐位などの同一体位をとつたときの腰痛、体幹を急激に動かしたときの疼痛、背腰部の圧迫症状等を残して症状が固定したと診断された(それまでの実通院日数一六日)。右診断の時点においては、障害内容の増悪・緩解の見通しは不詳と診断されが、原告は、昭和六三年三月においても、胸腰椎部での背屈制限と最大背屈位での疼痛を訴えていた。(甲二の3、4、一九の2、二一、三一、原告本人第二回昭和六三年四月二一付本人調書1~5項)

(なお、甲三五号証中には、平成元年八月の時点において、本件事故による後遺障害として、左半身が不自由で歩けば左足がつる、左手が痺れるなどの症状が残つている旨の原告の供述記載部分があるが、前掲甲一九号証の1、二一、三一号証に照らし、信用することができない。)

(4) 右後遺障害は、自賠責保険の関係で、後遺障害別等級表一一級七号に該当すると認定された。(甲三二、原告本人第二回昭和六三年四月二一付本人調書36項)

(二) 治療関係費 二一五万八七六八円

(1) 辻外科病院における

治療費及び室料差額 一八万一五七六円

ア 治療費 一五万八一七六円

甲二〇号証の1によれば、前記入院中の治療費として右金額を要したことが認められる。

イ 室料差額 二万三四〇〇円

甲三号証の1、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は、辻外科病院入院中の室料差額として右金額を負担したところ、原告の受傷内容、金額(二日間は各六二〇〇円、五日間は各二二〇〇円)等に照らし、相当損害と認めることができる。

(2) 国立大阪病院における治療費及び室料差額 一九四万七一九二円

ア 治療費 一六八万四五五二円

甲二〇号証の2によれば、前記入院中の治療費として右金額を要したことが認められる。

イ 室料差額 二六万二六四〇円

甲三号証の2、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は、国立大阪病院の特別室で治療を受け、室料差額として合計五四万〇〇一〇円を負担したことが認められるところ、前記認定の受傷内容及び症状の経過に照らすと、入院当初から昭和六〇年五月三一日までの期間についてはその必要性を推認することができるが、その余の期間については認めることは困難である。

したがつて、本件事故と相当因果関係に立つ損害としては、四月分及び五月分の合計二六万二六四〇円と認めるのが相当である。

(3) 漢方薬代 〇円

甲三号証の3、4によれば、原告は、昭和六〇年八月二一日及び同年一二月六日、福田龍漢方薬局において漢方薬を購入し、三万一三〇〇円を負担したことが認められる。

しかしながら、前記認定のとおり、原告は、当時、国立大阪病院に通院して投薬を受けていたものであり、右治療のほかに漢方薬の服用を医師に指示されたなどの服用の必要性を特に認めるに足りる証拠は存しないというべきである(この点に関する原告本人第二回昭和六三年二月九日付本人調書13項の供述部分も十分なものではない。)。

したがつて、右漢方薬代を本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めることはできない。

(4) 治療器具購入費 三万円

ア コルセツト購入費 三万円

甲二二号証、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は、腰椎装具及び金属枠型コルセツト代金として三万円を負担したことが認められ、本件事故による相当損害と認められる。

イ 血圧計購入費 〇円

甲六号証によれば、原告は、昭和六〇年八月二五日、阪急百貨店において血圧計を購入し、その代金九八〇〇円を支払つたことが認められる。

この点について、原告は医師の指示で購入したと供述するが(第二回昭和六三年二月九日付本人調書15項)、原告の受傷内容及び症状の経過に照らし、直ちに信用することはできず、他にその購入の必要性を認めるに足りる証拠は存しない。したがつて、右血圧計購入費をもつて本件事故による相当損害と認めることはできない。

(三) 文書料 一万円

(1) 辻外科病院分 五〇〇〇円

甲四号証の1、2、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、同病院による診断書発行のため右金額を要したことが認められる。

(2) 国立大阪病院分 五〇〇〇円

甲四号証の3~5、五号証、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、同病院による診断書発行のため右金額を要したことが認められる。

(四) 入院雑費 一一万八三〇〇円

前記認定のとおり、原告は本件事故による受傷のため、合計九一日間入院したところ、その症状の程度等に照らし、一日当たり一三〇〇円の入院雑費を要したものと推認することができる。したがつて、その合計金額は右のとおりとなる。

(五) 入院付添費 一九万三五〇〇円

原告は、昭和六〇年四月一九日から同年七月一八日までの入院期間中、歩行ができず、その間、妻による付添看護が必要であつたと主張し、甲三三号証中には、三か月間、寝たきりで身動きひとつできなかつた旨の供述記載部分(8、10頁)も存する。

しかしながら、前記認定の受傷内容及び症状の経過に加えて、原告は、入院中にコルセツトをしたまま仕事に出かけたこともあること(原告本人第二回昭和六三年二月九日付本人調書22項)を考慮すると、前記供述記載部分は信用することはできず、原告は、辻外科病院入院中及び国立大阪病院の入院当初から昭和六〇年五月三一日(前記手術から約三週間の期間)までの合計四三日間については付添看護の必要があつたものと推認できるが、それ以降の期間について付添看護の必要性を認めるに足りる証拠はないというべきである。

近親者による付添看護費用は一日当たり四五〇〇円とするのが相当であるから、合計一九万三五〇〇円が相当な付添看護費用と認められる。

(六) 休業損害 〇円

(1) 給料減額分 〇円

ア 甲五号証の1~5、二三号証の1~29、四二号証、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は、小川建設株式会社に昭和五二年一月に入社し、本件事故当時、営業部長として、もつぱら外回りをして官公庁や企業からの建設工事の指名獲得等の受注の仕事に従事し、昭和五九年には年額三四〇万〇七二〇円の給与収入(賞与を含む。)を得ていたこと、本件事故当時の給与は月二五万四五六〇円であつたところ、前記入院期間中及びその後も昭和六一年一月まで給与は減額支給されなかつたが、同年二月以降の給与は、別紙給与内訳表の総支給額欄記載のとおりとなつたことが認められる。

イ 原告は、本件受傷により長期欠勤を余儀なくされたため、前記のとおり昭和六一年二月から給与が減額され、合計一〇八万六八四〇円(昭和六一年二月分四万二〇六〇円、昭和六一年三月から昭和六二年一月までの分各八万七〇六〇円、昭和六二年二月分六〇円、昭和六二年三月分八万七〇六〇円)の損害を被つたと主張し、原告本人尋問の結果(第二回)中にこれに副う供述部分(昭和六三年二月九日付本人調書22~24項)も存する。

しかしながら、〈1〉前記認定のとおり、原告は、国立大阪病院を退院後も腰背部の疼痛を訴え、同病院に通院したが、昭和六一年二月までの約七か月間にわずか四回しか通院しておらず、その後の通院回数も多くなく、症状固定の診断のされた昭和六二年四月一四日までの約二一か月間の通院回数はわずか一六回に過ぎなかつたこと、〈2〉右のことからも窺えるように、原告の国立大阪病院退院後の症状はさほど重いものではなく、原告は右退院後ほどなく仕事に復帰したものと推認できること、〈3〉原告の給与は、前記入院期間中及びその後の約半年間は減額されかかつたのに、昭和六一年二月以降から本件受傷を理由として減額されたことは不自然と考えられること、しかも、別紙給与内訳表のとおり、減額前の給与の内訳と減額後のそれを比較して、減額の対象とされた項目、金額等について合理的な説明がつきがたいこと(なお、原告は、小川建設の社長は人情が厚く、原告の会社に対する貢献度を高く評価してその間の給与の減額をしなかつたと説明するが(甲四二号証3項)、それは原告の推測に過ぎず、原告は、給料が減額された理由について説明を受けたことも説明を求めたこともない(原告本人第二回六三年二月九日付本人調書24項、昭和六三年四月二一日付本人調書18項)のであつて、真にその理由によるものかも明らかでない。)などを考慮すれば、前記各証拠により、原告が、本件受傷によつて長期欠勤し、そのために給与を減額されたものとは未だ認め難いというべきである。

(2) 顧問料

ア 原告は、本件事故当時、株式会社川崎組、田中隆建設株式会社及び旭開発興業株式会社の営業及び業務顧問として、右各会社に対する仕事の斡旋、経営相談、人材紹介等を行つて、毎月、川崎組及び旭開発興業から各二五万円、田中隆建設から二〇万円の業務顧問料を得ていたところ、前記受傷のため、昭和六〇年五月から昭和六二年四月一四日までの二三か月間、顧問としての仕事ができず、顧問料の支払いを中止され、合計一六一〇万円の損害を被つたと主張し(ただし、請求はうち金三六〇万円)、原告本人尋問の結果(第二回)中に右に副う供述部分が、また、川崎組は昭和五九年一月一〇日から、田中隆建設は昭和五九年四月一日から、朝日開発興業は昭和五九年八月一日からいずれも本件事故当日まで、営業及び業務顧問料として毎月二〇万円ないしは二五万円を支払つていた旨の各会社発行の証明書(甲五号証の7~9)も存する。

イ しかしながら、まず、原告の右顧問料収入については、原告の納税証明書あるいは源泉徴収票等のその裏付けとなりうる資料は全く存しないうえ、原告の小川建設における地位及び職務、現実の給与額に照らせば、原告が同社に勤務しながら、同社と競争関係に立つと考えられる他の会社の仕事の斡旋、経営相談、人材紹介等を行い、多額の営業及び業務顧問料の支払いを受けていたものとは直ちに信じがたいところ、〈1〉原告が川崎組等の営業等に関して、毎月の顧問料に相応するだけの仕事をどの程度現実具体的に行つていたか明らかにする資料はないこと(原告本人尋問によつても明らかとならない。)、〈2〉前記認定の症状及び治療の経過に照らすと、原告の入院により直ちに支払いが打ち切られ、退院後もその仕事をしていないことは不自然と考えられることなどからすれば、前記各証拠をもつて原告が川崎組等から毎月多額の顧問料を受領していたことを認めるには足りないものというべきである。なお、甲一八号証によれば、原告は、建設会社の代表者や社員を会員とする親睦団体である翁泉同志会の会長をしており、川崎組及び田中隆建設の社員、旭開発興業の代表者も同会の会員になつていることが認められるが、同会には他の建設会社の関係者も多数加入しているのであつて、右のことをもつて直ちに川崎組等から顧問料の支払いを受けるようになつた証左とすることもできないというべきである。

ウ ところで、甲五号証の1、2、甲一二ないし一七号証、原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は、本件事故当時、専業主婦の妻、高校二年生の長女及び中学三年生の次女と同居し、この者らを扶養していたことが認められ、その家族構成に照らし、食費、教育費等に相当額を要し、また、原告は、住宅ローンの支払いに毎月一三万円余の支出をしていたことも認められ、原告は、このこと根拠として、前記の給与収入のみによつて原告ら家族の生活を維持することは困難であり、原告は小川建設からの給与収入以外に、川崎組等からの顧問料収入があつたと主張する。

なるほど、前記認定の小川建設からの給与収入だけでは原告ら家族の生活を維持し、ローンを支払つていくには不十分であり、原告には右収入以外に何らかの副業収入があつたのではないかと推測できないこともないが、そのことを直ちに結びつけて、現実に川崎組、田中隆建設あるいは旭開発興業から毎月二〇ないし二五万円の顧問料収入を得ていたことまでを認めることは困難というべきである。

エ 以上によれば、原告が主張のとおりの顧問料を受けていた事実を認めるに足りる的確な証拠はないといわざるを得ず、したがつて、右を前提とする請求は理由がないというべきである。

(七) 後遺障害による逸失利益 〇円

(1) 前記のとおり、原告は、長時間同一体位をとつたときの腰痛、体幹を急激に動かしたときの疼痛、背腰部の圧迫症状等の自覚症状を訴え、原告の後遺障害は自賠責保険の関係で後遺障害別等級表一一級七号に該当すると認められるところ、原告は、本件後遺障害により、六七歳までの就労可能期間を通じてその労働能力を二〇パーセント喪失したとして、一四一〇万〇〇二六円の逸失利益を請求する。

(2) 前記の症状の内容、程度からすれば、原告の車を使用しての外回りの仕事等に若干の支障が生じていることも窺われるが、前記のとおり、原告の給与は症状固定の診断がなされた前後で変わつておらず、しかも、本件受傷によつて原告の給与が減額されたことは認めがたいのであつて、これらの事実に、本件後遺障害の内容、程度、原告の仕事の内容等を併せ考慮すると、原告が、本件後遺障害により労働能力を一部喪失し、現実具体的に財産上の損害を被つているとは未だ認めがたく、将来の減収を認めるに足りる十分な事情も存しないというべきである。

したがつて、本件後遺障害による逸失利益を認めるに足りる的確な証拠はないというべきであるが、原告は、相当の期間、若干の苦痛や不便を感じながら仕事をすることを余儀なくされていることについては、これを後遺障害慰謝料の算定に当たり考慮するのが相当である。

(八) 慰謝料 六二〇万円

原告の受傷内容、治療の経過、後遺障害の内容及び程度、前記(七)で説示した事情その他諸般の事情を考慮すると、本件事故によつて原告が受けた肉体的、精神的苦痛に対する慰謝料としては、傷害分一二〇万円、後遺障害分五〇〇万円とするのが相当である。

(九) 物損 四五万〇五〇〇円

(1) 車両修理費 三五万円

甲七号証によれば、本件事故により、原告所有の原告車は大破し、近鉄モータース株式会社大阪支店によつて、その修理費として二八〇万二八二〇円(部品代二二四万五二二〇円、工賃五五万七六〇〇円)の見積りがなされたことが認められる。

しかしながら、乙七号証の1、2、八号証によれば、原告車は、昭和五一年に初度登録された累積走行八万二六〇〇キロメートルの自動車であるところ、昭和五八年版レツドブツク外車編によれば、昭和五一年式のフオード・マスタングの平均販売価格は七〇万円ないし八五万円であること、損害調査に当たつた浅田アジヤスターは、原告車の復元修理のための費用として二三九万六一五〇円(部品代一九七万七一五〇円、工賃四一万九〇〇〇円)と見積もつたが、原告車の年式、走行キロメートル数、整備状況等から、時価額は四〇万円、スクラツプ価格は五万円であり、全損と査定したことが認められる。

右事実によれば、原告車については修理費が本件事故当時の交換価格を著しく超えることは明らかであり、経済的全損として、前記交換価格からスクラツプ価格を控除した残額である三五万円が本件事故による相当損害と認められる。

(2) 代車料 一〇万〇五〇〇円

甲八号証の1、2によれば、原告は、前記国立大阪病院を退院後、レンタカーを借り、通勤、通院等に使用し、その昭和六〇年七月分の使用料として株式会社日産観光サービス株式会社に一〇万〇五〇〇円を支払つたことが認められるところ、その期間、金額等について特に不相当な事情は窺われないので、これを本件事故と相当因果関係に立つ相当損害と認める。

(以上合計)

(一) 治療関係費、文書料、入院雑費、入院付添費合計 二四八万〇五六八円

(二) 慰謝料 六二〇万円

(三) 物損 四五万〇五〇〇円

計九一三万一〇六八円

3  過失相殺

前記のとおり、本件事故発生について、原告に六割の過失があるものというべきであるから、前記損害額から六割を控除すると、次のとおりとなる。

(一) 治療関係費、文書料、入院雑費、入院付添費合計 九九万二二二七円

(二) 慰謝料 二四八万円

(三) 物損 一八万〇二〇〇円

4  損害の填補

前記のとおり、原告は、労災保険及び自賠責保険から損害の填補を受けているので、これを前記3の過失相殺後の損害額から控除すると、治療関係費、文書料、入院雑費及び入院付添費は労災保険からの療養補償給付金によつて、慰謝料は自賠責保険からの後遺障害保険金によつて、それぞれ填補されたものと認めるのが相当である。

したがつて、右損害の填補後の原告の請求しうべき残損害額は、物損分一八万〇二〇〇円となる。

5  弁護士費用 二万円

本件事故と相当因果関係にある弁護士費用相当の損害額は、二万円と認めるのが相当である。

三  反訴請求について

1  損害額

証拠(乙四、五の1~3)によれば、本件事故により、被告会社所有の被告車は、大破し、その修理費として二九万六一一〇円(部品価格一五万三五一〇円、工賃一四万二六〇〇円)の査定がなされたところ、被告車は、昭和五四年八月に初度登録された累積走行六万八五五三キロメートルの中古車であり、その時価は一五万円に過ぎないことが認められ、右修理費が本件事故当時の被告車の交換価格を著しく超えることは明らかであるから、経済的全損として、前記交換価格からスクラツプ価格を控除した残額である一四万五〇〇〇円が本件事故による相当損害と認められる。

2  過失相殺

前記のとおり、本件事故発生について、被告増田に四割の過失があつたというべきであるから、前記損害額から四割を控除すると、原告が賠償すべき損害額は八万七〇〇〇円となる。

四  結論

以上のとおりであるから、原告の本訴請求は二〇万〇二〇〇円の、被告会社の反訴請求は八万七〇〇〇円のそれぞれ支払いを求める限度で正当として認容するが、その余の本訴請求及び被告会社の反訴請求はいずれも失当として棄却することとする。

(裁判官 二本松利忠)

別紙 〈省略〉

(別紙図面(二))

〈省略〉

(別紙) 給与内訳表

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例